


三輪酒造の酒蔵、北蔵と南蔵の2棟は、明治期の酒蔵の典型例で歴史的な街並み景観に寄与するものとして、平成23年、国の登録有形文化財に認められました。
船町の通りに面して店(当初の建物は明治25年の濃尾大震災で倒壊。再建された建物も第二次大戦の空襲で焼失。現在の建物は戦後の建築)があり、蔵はその奥、敷地の南側に建っています。
当初、北蔵が仕込み蔵、南蔵が貯蔵蔵として建てられ、いまも基本的にはその使われ方が踏襲されています。2つの蔵はともに和小屋の土蔵造りで、外側を黒の下見板で覆っています。
南蔵の棟木には上棟記念の墨書があり、明治20年の上棟で棟梁は谷喜十郎、北蔵の棟木にも同様な墨書が遺され、同じ棟梁でこちらは明治21年の上棟と分ります。始めから全体を計画し順番に建てていったのでしょう。
南蔵は敷地の南端に東西方向に棟をとって建てられています。いっぽう北蔵はこれと直角にその北側に棟を南北方向にとって建てられています。ともに付属屋がありますが、主たる部分はいずれも12間に7.5間の矩形です。

北蔵は2階造りですが、南蔵は酒蔵としては珍しい3階建てになっています。これは水害にしばしば襲われた大垣の土地柄を考えてのことと思われます。
昔は2階に酒を貯蔵していたそうで、かつては吹抜け部分に滑車が取り付けられ、酒樽を上階に運び上げるようになっていました。120年を超える使用で、2棟とも用途や間仕切りの変更、補修や改修が加えられており、また濃尾大震災の際に、北蔵の柱にやや歪みが生じ、2階の床に若干の不同沈下が見られますが、それ以外は問題なく、2つの蔵ともいまなお現役として活躍しています。
なお北蔵の1階には、大正初期の水圧式圧搾機を備えた酒槽(さかふね)2基が健在で、また昭和初期の建造にかかる丁寧なタイル貼りの冷蔵庫も現役使用されています。
残念ながら表の大通りからは蔵の大きな姿が見れませんが、裏の通りに回ると、石積みの上に聳え立つ南蔵の大きな南面に北蔵の西面が続く迫力ある構成を望むことが出来ます。